谷城

別名-  付近住所 兵庫県神崎郡市川町谷 現在 大歳神社
2007/12/1 案内板アリ


永良氏  谷城跡は、標高206mの古城山山頂にあり、東西20m・南北40mの本郭跡と、その北側に一段低く16m×18mの平坦地がある。これをとりまいて、いくつもの平坦地が段違いにあり、土塁や石垣も見られる。北と南の尾根筋や東西の急斜面には何本もの堀切があり、中世山城の複雑な縄張りが良く残されている。
 城は室町時代、赤松則村(円心)の孫、永良則綱が明徳年間(1390〜94)に、永良庄を支配して居城としたのが最初とされる。その後赤松氏の北に対する守りの要地とされ、「残要の城」とも呼ばれたが、永禄のころ(1558〜1570)戦火により焼失、廃城となった。
 城跡より北方の横倉山観音堂へは、尾根づたいに古道があり、遊歩道として整備されている。

 中世戦国時代(鎌倉時代や室町時代)の城は「山城」といって、山の頂上を削って平坦地をつくり、そこに建物を建てるものでした。
 この山では、「曲輪」や竪堀」など、山城のなごりを残す地形的な特徴をみることができます。
 また、東側の平野から兵の動きがみえないように、歩道が尾根筋より少し西側に下がった位置についているのも山城のなごりです。

      

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